【第78回『ラーメンの歴史』】

ラーメン街道
 
1年半にわたり連載させていただいた「ラーメン街道」ですが、最終回ということで、ざっとラーメン文化の歴史を振り返ってみたいと思います。
 
日本のラーメン。中華料理だった「拉麺(ラーミェン)」が、時代の変遷とともに「支那そば」「中華そば」と呼称を変え、国民食として親しまれるようになった不動のグルメ。ではなぜそうなり得たのかを振り返りたい。
 
明治43年、当時日本一の繁華街として栄えた浅草に、横浜中華街のコックを呼び寄せ『来々軒』が開業。「支那蕎麦」を看板に掲げ提供されたのが現在確認される日本のラーメンの最初と言われる。歌舞伎や映画など最先端の街で、娯楽とセットで食べられたラーメン。当時としてはまだまだ認知の低い外国料理だったが、物珍しさと日本蕎麦に類似した親しみやすさから人気が出たのは容易に想像できる。
 
昭和初期、札幌や喜多方•久留米など、全国にラーメンを広めたのは中国人。まさに中華料理の一つとして馴染みの浅かったラーメンだが、より日本人らしい今のラーメンに近いものができてきたのは戦後のようだ。戦地から引き揚げた兵隊や、お米に比べ入手しやすかった小麦を使うラーメンが屋台などで急激に全国に広まった。東京を始め九州の豚骨ラーメン店や札幌の味噌ラーメン店など、老舗の創業年は昭和20年代に集中する。
 
東京で「支那そば」や「中華そば」として日本蕎麦の延長として考えられていたラーメンが、新しい文化として変革を迎えたのが味噌ラーメンと豚骨ラーメンの全国展開。それまで地方食としてとらえられていたご当地ラーメンが、昭和40年代インスタントラーメン化やFC展開などで広く普及し、札幌味噌ラーメンや博多豚骨ラーメンなど基礎となるジャンルが形成された。
 
そして現在にいたるラーメン人気を支えるのはインターネットの誕生に他ならない。1995年windowsが発表されまたたく間に広がった通信網。それまでTVや紙媒体で受け取るしかなかった情報が、HPやSNSなどで相互通行になり、生の声を反映した情報を共有することが可能になったのだ。生きた情報。すなわち新店や裏メニューの提供、旅行先の人気店などタイムリーな情報を無料で入手でき、またそれらを発信できる。全国約30000軒とも言われる膨大な情報量のラーメンと合致し、ラーメン人気は一気に高まったと言える。時代はPCからスマートフォンへと移り変わり、ますます利便性の増したインターネット環境。情報と共生するラーメンの未来は明るい。
 
今回は読者の方に、最後にこの連載を読むことでより深いラーメンの知識を持っていただこうと歴史について触れさせていただきました。歴史が紡ぎ、地に足のついた食文化であるラーメン。今後も自国の食文化としてご支援いただければ幸いです。
 
 
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    この記事をまとめると…

  • ラーメン研究家の石山勇人が、毎週オススメのお店を紹介してきた「ラーメン街道」
  • 今回は、最終回ということでラーメン文化の歴史を振り返る
  • ラーメンは、歴史が紡ぎ、地に足のついた日本の食文化と言える
この記事を書いたライター
石山勇人(いしやま・はやと)
ラーメン研究家。食べ歩いたラーメン店は6000軒を超え、今なお1日2軒のペースでラーメン店をリサーチ&取材に明け暮れる毎日。『王様のブランチ』の出演をはじめ、テレビ番組への出演、企画協力多数。
         

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